妄想小説

あるマゾ男のこと

 崇は毎日工場の派遣で働いている。去年名もない大学の工学部を出て、電気関係が好きで探したが,工場勤めしかなかった。出来上がったジャックという電気部品の検査だ,8時間ジャックとにらめっこをするのは,拷問だ。しかし親と絶縁している手前、会社を止めるわけにはいかない。午後4時を過ぎるとほっとする。5時で上がっていつものコンビニに直行だ。「腹減った。」
 油物を避けた弁当とウーロン茶の紙パックを買う。レジに行って、電気が走った。レジの女性は澄んだ目に力があって、薄い唇も気が強そうだ。目尻はちょっと下がってやさしげにも見える。なによりめったにいないほどの美人だ。彼女がレジを打つ音で、我に返った。
 アパートに帰り,弁当を食べ終わると、何もする事はない。ぼんやりと彼女のことを思い出していたら,急にオナニーがしたくなった。いつものように、パソコンでコピーしたえろビデオを探す。「顔面騎乗」。崇はなにより、強い女性のお尻の下で息ができずに苦しむマゾ男がうらやましかった。人には言えない性癖だ。特に性癖を女性に知られるのが怖くて、彼女がいた事がない。というより男と女の関係になったら、軽蔑されそうで怖かった。自分を好きになってくれる女性などいないと確信していた。
 崇は母から厳しいしつけを受けて育った良い子だった。特に思春期はキツかった。母に監視されているようで、パソコンでこっそりえろサイトを覗いているところを見つかって、母から「堕落したわね」と吐き捨てるように言われた。小さい時の厳しい体罰と真綿で首を絞めるような愛情を注いできた母を、こころの底で憎んでいた。大学を卒業間近に「会社は自宅から通える!」と説得する母とケンカをして「今後一切、家には頼らない!」と啖呵を切って、始めたひとり暮らしだ。ひとり暮らしを始めたときにはその自由さにほっとした。
 それからいつも会社が終わると、コンビニに直行して、彼女がいるのを確かめて、雑誌などを立ち読みしながら、ちらちらと彼女の働く様子をうかがったりしていた。
 ある日、彼女が商品のキャスター付きトレイを重そうに後ろ向きに引っ張っていてバランスを失い、うんこ座りで雑誌を立ち読みしていた崇の上から、倒れてきた。崇も押されて倒れて、床で「ゴン!」と頭を打った。彼女の体は崇を押しつぶすように、お尻から乗った。「ご、ごめんなさい!」と彼女はすぐに立ち上がった。「大丈夫ですか?」「いたたた、多分大丈夫だと思います。」崇は恥ずかしさと痛みを堪えて、言った。
 すぐに若くてちょっといい男の店長が飛んできて、謝った。「病院に行かれましたら、領収書をお持ちください。申し訳ありません」崇は上の空で聞いていたが、彼女のお尻の柔らかさと重さ、そして暖かさを反芻していた。
 次の日に日課のコンビニのドアを開けたら、レジの彼女と目が合った。「大丈夫でしたか?」と聞いてきたので,ゆっくりとレジの方に歩いて行って、崇は紙を開いて差し出した。病院の領収書ではなく、「メル友になってください。お願いします」と言って、携帯のアドレスと名前を書いた紙を手渡した。彼女は一瞬困ったような顔になったが、黙ってポケットにしまった。崇はコンビニを出るとガッツポーズをした。昨晩から「天の与えたチャンスだ。当たって砕けろ」と、考えていた作戦だった。打った頭はまだ痛かった。
 次の日にコンビニで、いつものお弁当とウーロン茶をレジに持っていくのが怖かった。彼女の目を見れなくて、うつむいたまま、レジに商品を差し出した。彼女が商品を受け取った瞬間顔が火照るのが自分で分かった。いつも通りのレジのやり取りが終わって、ほっとして、店を出た。
 さらに数日して、下宿に居ると、メールが鳴った。崇にメールしてくるのは会社の男の知り合いくらいだ。「もしや」と思って確認すると、生唾を飲んだ音が自分でも分かった。彼女だ。「崇さんて言うのね。私は登茂子です。店番超つかれています。」すぐに返事を打ったらすぐに返ってきた。登茂子は愚痴や不満を打ってきて,崇は聞き役になった。5回ほどのやり取りの後、登茂子の返事はこなくなった。崇は一人きりの部屋で登茂子のおしりと美しい顔を思い出して,うっとりしていた。
 崇は何度かデートの誘いをしたが、登茂子からは、返信はなかった。「やっぱりあれだけきれいな人だから、彼くらいいるよな。諦めなければ」って思った。でもこのまま、縁が切れてしまうのもイヤだ。と半分ヤケ気分で、自分がマゾ男である事を告白しようと思った。「登茂子女王様の命令なら,どんな事でもやります。マゾ崇」とドキドキして打つと、しばらくしてから「下半身裸でコンビニに来なさい。」と返ってきた。えっ!通行人の目をかいくぐって、女王様の元に行く!?しばらく考えたが、「やるしかない」とおもって、ズボンとぱんつを脱いで、表に出た。コンビニまで500mくらいだ。裏通りを迂回して電柱の陰とか利用しながら、コンビニのある表通りを全力ダッシュして、コンビニに飛び込んだ。女王様は,一瞬「あっ」と驚いたようだが,すぐ、下を向いて笑いを堪えていた。「喜んでくれた!」
 あるときにはレジ近くのコロッケをつまんだ女王様はそのまま手を開いた。コロッケは床に落ちて潰れた。それを拾って,崇に渡し「ポチ、ごはんよ」と言って差し出した。崇は喜んで食べた。女王様は勝ち誇ったように「毎度ありがとうございます」と大きな声で言った。他にも客がいるけれど、この出来事に全く気付いていなかった。
 次には、店内に客がいないのを見計らって、落としたコロッケを、ピンクのミュールで踏みつぶして,「四つん這いで食べなさい!」と言った。崇は四つん這いになって床のほこりと一緒に舌で舐めた。噛むとガリッと音がして、味も分からなかったが飲み込んだ。そのとき、女王様は崇の後頭部にグイッとミュールを乗せてきて「プライドを失った男はあわれね」と呟いた。
 コンビニのドアの横に女王様がいいと言うまで正座させられた。時々店内を振り返ると,客の接待をしている女王様が見えた。客達は側に近寄らないように、迂回して出入りしていた。
 毎日コンビニに通ったが、女王様が遊んでくれず、崇を普通のお客様扱いをしたときには、アパートに帰る道で落胆した。
 遊んでくれない日が続いたある日、女王様のアパートを知りたくて、後を付けていったこともあった。意外と質素だけれど、ちょっとおしゃれなアパートだった。室内の電気が点いて、たまに女王様の影が映ると、わくわくした。いつまでも室内の明かりを見ていた。
 もう1ヶ月以上女王様は遊んでくれなかった。崇はいつものように女王様のアパートの前で立っていた。じれったくなって、メールをしてみようと思いつき、思い切ってメールした。「この頃遊んでくれませんね。いまアパートの前にいます。」女王様は、ストーキングされている事にうすうす気付いていたので、「上がってきなさいよ。私の部屋に。」と打った。崇はびっくりして期待にわくわくした。ドアをノックするときには期待が最高潮だった。中から出てきた女王様はピンクのパジャマ姿のまま「あがりなさい」と言った。崇は生唾を飲み込んだ。女性の部屋に入るのは初めての経験だった。ほのかないい匂いのする、こぎれいな部屋だった。奥に通されてびっくり仰天した。コンビニの店長が裸のまま無表情でベッドから崇を凝視していた。確かメールでは店長には家族が・・・。
 「わかった?これが私の真の姿よ」と女王様は崇を見て言った。店長は崇を無視して、女王様に「続きをやろうぜ」と言った。女王様はするりとパジャマを脱ぐと、ぱんつもはいていなかったので、白い裸身になってベッドに座った。崇の方を見て「そこで正座してなさい」と言ってから、店長とキスし始めた。店長は女王様を力強く抱きしめて、まさぐっていった。女王様は時々首を反らせて、喜びの声を漏らした。
 雰囲気にのまれたまま、女王様の裸身を見つめていた崇は急にオナニーがしたくなった。ジッパーを下ろすと,自分でしごき始めた。初めて見る女王様の乱れた姿は、刺激が強過ぎ,すぐにイキそうになった。それを見つけた女王様は「何やっているのよ!」と素足を伸ばしてきて、足の裏を崇の頭の頭に乗せて、ぐいと力を入れた。その瞬間、崇は白い液を放出した。

 崇は自分のアパートに帰り着いて、ひとり深いため息をついた。「もう疲れたよ」と呟いた。派遣の仕事もしんどいだけで、将来に何の展望もなかった。「生きる気力が湧いてこない、生きることの何にも興味が湧かない」とぼんやり考えていたら,死が忍び寄った。崇は自分の死後の世界を想像してみた。周りのみんなはそのまま生活をしていて、自分だけが存在していない。怖い。みんなぼくの事など忘れて平凡な日常に追われる。女王様は当たり前のように不倫を続ける。寂しい。自分の全くの無力を感じた。しかし女王様にだけ自分の生きた証を残したかった。それで付けていた日記を宅急便で送る事にした。
 次の日に宅急便を出し終わった崇は、近くのJRの踏切に飛んだ。

 2日後に登茂子の元に日記が届いた。綿々と登茂子に対する熱い思いが綴られていた。最後の方になって「ぼくは女王様のしてくれた全ての事に深く完全に満足しています。」という文章をみつけた。そして日記の終わりのページは「疲れました。さようなら女王様。」で結ばれていた。すぐに登茂子は崇にメールした。届かない!登茂子は号泣した。大声を上げて泣いた。
 次の日休みを取った登茂子はメールで聞いていた崇の実家を訪ねた。迎えてくれた崇の母は、初老の上品で気の強そうな人だった。しわはいっぱいあるが,昔は美人だったに違いなかった。すでに崇は仏壇の人となっていた。位牌には「圓萬院動空秀明居士」と立派な戒名がついていた。登茂子はこころをこめて数珠もって手を重ね、崇のために祈った。あたりはしんとしていた。
 「JRから運休賠償金が2000万円も来たのですよ。しかしまあ、崇がこんなきれいなひととお知り合いだったなんて!結婚して孫の顔でも見せてくれれば良かったのに」母が寂しげに言った。登茂子は涙を溜めた目で、精一杯微笑み返した。登茂子は深い会話をかわすことなく、崇の実家を後にした。空は何処までも青い、深い秋だった。「どうしようもないキモ男だったけれど、いなくなると寂しいものね」

あるマゾ男2

 女王様のペニスバンドで崇はひいひい言わせられながら、あられもない格好でよだれを垂らしていた。崇は派遣の給料日になると、金を握りしめてSMクラブ「ヤプーの館」足しげく通っている常連だ。指名するのはいつも,クリステル女王様。細いけれど力がある目の、やさしそうなとても雰囲気のある美人女王様だった。クリステル女王様が白い太股を崇の首にからませて、頸動脈を絞めグイグイ力を入れて、崇の意識が遠のきそうになるのは、至福の瞬間だった。プレイの合間に女王様と世間話をしていた時に「本名は倫子、アラサーでこの道6年」であることを聞いた。この道6年といえば相当なベテランだ。

 「私引退するかも」ある日のプレイの後で倫子女王様が漏らした。崇に衝撃が走った。女王様と言っても水商売であり歳はとるから、自然に引退することになる。引退後は引き続きSMクラブのオーナーになったり、結婚する人もいれば、しない人もいる。繊細過ぎて自殺してしまう人だっている。それにしても30歳で引退とは若過ぎる。プレイ終了後、崇は思い切って聞いてみた。「寿退社ですか?」クリステル女王様は「うふふ、そうかも」とちょっと笑みを浮かべた。「どんな職業の人ですか?」それには答えず、女王様は涼しげな目に笑みを浮かべていた。
 崇はヤプーの館を出てから「倫子女王様が結婚引退!」醒めきってどんよりとした顔で、とぼとぼと歩いていた。深いため息ばかりが出て、アパートまでどうやって帰ったかも覚えていなかった。
 崇は倫子女王様がたとえ老けても、通い続けるつもりだった。2次元の女性を除けば、崇が唯一リアルで好きになった女性だ。パソコンでいつもやっている女王様のゲームも全くやる気が起こらなかった。いつも冷静な女王様でも好きな人がいるんだ。プライベートはほとんど明かさない女王様だったので、女王様の彼がどんな人かまったく想像できなかったが、彼の座をめぐる争奪の土俵にも乗れなかった崇は、敗北感で打ちひしがれた。涙でぐしょぐしょになった情けない崇の顔の裏には、女王様と未知の男性に対する静かな怒りがあった。ほぼ30秒おきにため息をついていた。
 お腹が減ったので,いつものラーメンを作って食べた。味などなかったけれど,食欲が落ち着くと、多少気分が持ち直し、「このまま女王様と永遠のお別れになるのはイヤだ。失うものは何もない。プロポーズするだけしてみよう。」われながらその大胆な考えに驚いた。以前女王様が「要求ばかり多いエゴマゾが多い中で、崇君はいい子だから好きよ」と言ったことがあるが、この言葉を頭の中で何回も反芻していた。何時間もかけて手紙を書いた。何度も読み直して,訂正したり、付け加えたりした。
 「倫子女王様、奴隷の崇です。結婚されるのですね。本来なら祝福して差し上げたいのですが,じつはぼくの気持ちも聞いてください。倫子女王様とのプレイはぼくのこころの中で決して忘れられないものになっております。女王様のムチ打つときの上気した肌を滴り落ちる汗や、倫子女王様の体温を暖かく感じるご聖水も忘れられません。崇は一生倫子女王様の身の回りのお世話をするエプロン奴隷になりたいのです。倫子女王様が望むことをなんでもする覚悟があります。でも今は悲しみでいっぱいです。一生お慕いして側に置いて頂きたいです。崇拝」
 次の女王様の勤務は2日後だった。2日が長かった。給料日がまだ遠い崇は生まれて初めてプロミスで、3万借りた。容易くもっと借りれそうだったが、過去にローンで趣味のカメラを買ったときに、ローンを返し終わるのが、どれほど気が遠くなるほど長いか思い知っていていたので、最低限度に押さえた。
 当日プレイルームでの倫子女王様は白いブーツに白いエナメルのボンデージだった。「今日はプレイじゃないんです。これを渡しに来ました。」とおずおずと手紙を差し出した。女王様は受け取って読み始めた。崇は「即答で突き返されませんように!」と祈った。大きな不安で押しつぶされそうだった。女王様は読み終わると黙って、部屋の隅の私物のポールスミスの緑のシマのポシェットに入れた。「さ、今日もプレイやるわよ。お前はお客様だから」といつもの黒光りする一本ムチを取り出した。
 崇は仕事中もずっと「返事をくれるだろうか?」と不安でもやもやして、仕事は上の空だった。次の女王様の勤務日にヤプーの館に予約の電話をすると、女王様は休みだった。理由は教えてくれなかった。次の勤務日も休みだった。そして次の勤務日も休みだった。「女王様にはお断りの返事すら、直接もらえずに無視された」と絶望した。崇は疲れきって仕事を休んだ。ずっとアパートにひきこもって、時々思い出したように泣いていた。お腹が減ると、最低限コンビニにラーメン調達に行った。風呂も入る気にならなかった。
 10日ほど経ったある日、電気もつけずにふとんでじっとしていた崇の携帯が鳴った。「仕事先からかな?」と思って確認すると、知らない番号だった。「もしもし、私、倫子」「えっ!」崇は仰天して口が一気に渇いて心臓がどくんどくんとした。「いまから教えるマンションに来れる?」「は、はい」かすれて声も出なかった。頭が真っ白になりながら、指定されたマンションにいつものママチャリで向かった。高そうできれいなマンションだった。ピンポ〜ンとマンションのインターホンを押して「崇です」というと、いつもの女王様の声がした。「今開けるから。」門のガラスドアが開いて、崇はエレベーターに乗って最上階の女王様の部屋に小走りで向かった。

 部屋の前で大きく息を吐くと、女王様の部屋のチャイムをならした。すぐドアが開いて、濃いブルーのキャミソールに破れのあるジーパンをはいて、裸足に白いボアのスリッパを履いた倫子女王様が静かな笑みを浮かべていた。普段着でリラックスした女王様を初めて見た崇は感動した。白い壁と天井に黄色いランプが光っていた。奥には黒紫色のリクライニングチェアーと整えられたベッドがあり、液晶テレビやオーディオ類が最低限置かれていた。沢山の本も家具調の本棚にきれいに並べられていた。「トラウマの論理」とか難しい本だった。崇は感動のあまり、口がからからだった。

 倫子女王様は立ったまま、崇をフローリングに座らせ、静かに言った。「よくお聞き。これから一生、エプロン奴隷として仕えなさい!」更なる感動に、崇の目からはぼろぼろと涙が出て来た。「エエン、エエン」と肩をふるわせて泣きじゃくった。しばらく経ってから、泣き続ける崇を見つめていた女王様は言った。「返事は?」崇は「はい、仕えさせて頂きます」とやっと答えられた。倫子女王様は微笑みながら素足を崇に差し出した。崇は白い足の甲を、かすかに震える両手で支えて、正座した太腿の上に置いて、キスした。その後、足を思い切り抱きしめて、再び泣いた。
 やがて崇は泣き止んで「ご結婚はどうなったのですか?」と恐る恐る聞いた。女王様は「駆け出しの弁護士だったんだけれどプロポーズされて、一緒に暮らし始めたの。でも彼酔っぱらうと暴力的になるのよね。しらふのときにはやさしいのだけれど。この間酔っぱらって取っ組み合いの大げんかになったの。ほら。」と言って、額にかかっていたソバージュの髪を掻き揚げて、耳の上の青あざを見せた。「追い出したら、翌日来てインターホン越しに泣いて謝ったけれど、許さなかった。女王様を怪我させるなんて絶対に許さない。さらに2〜3回来たけれど、もう入れないわ。けっこうイケメンだったんだけれど、結婚もキャンセルしたわ。」と寂しげな表情を浮かべて言った。崇は黙って聞いていた。静かな沈黙があたりに漂った。
 その晩崇はマンションに泊まることを許され、初めて倫子女王様と一晩をすごした。女性とセックス経験の全くなかった崇は、ぎこちなくも倫子女王様のリードで挿入した。倫子女王様の体の中はとても暖かかった。

 次の年明け、ヤプーの館に届いた倫子の年賀状によって、客だった崇と婚約したことが昔のお仲間に伝えられた。「崇が主夫やって私は免許があったから税理士として会計事務所に勤めてま〜す。この分野、毎日がお勉強です。崇は料理がうまくなったし、毎日お風呂で三助さんをやってくれます。しあわせで〜す♡」

あるマゾ男3


 崇は59歳、子どもはすでに独立しているが、最近大腸がんで妻を亡くした。妻の四十九日を済ませると,広い家に、ひとりぽつねんと座っていた。昔から妙に好きだった「咳をしても一人」「こんなよい月を一人で見て寝る」となどという俳句を思い出していた。「これで俺の人生もいよいよ最終コーナーを回ったな」と思うと、妻の存在がいかに大きかったか心底思い知った。定年を待って、「やがて自分も死ぬのだな」と思ったら,今までの営業の仕事一筋の人生を振り返って「もっと女性の尻を追っかけるような人生も良かったのでは」などとも考えた。それまでは嫌っていた数々の浮き名を流しているイケメン俳優の人生と、自分歩んで来た人生を比べてみて、とてもうらやましく思えたりもした。
 じつは崇には人に言えない性癖があった。「女性を崇拝し、女性に跪き、女性に虐められたい」と言う欲望だ。だれにでもとくに女性に対して、とても腰の低い性格はずいぶん営業の仕事にも役立った。しかし妻は崇のそういう性癖をとても嫌っていた。マゾの写真集を古本屋で買って来て、こっそり見ていたのを見つかった時、妻は「ドスケベ!変態!それでも男なの!」と言って本を捨ててしまった。妻に内緒で、SMクラブというものへ行ってみたいと思ったこともあったが、なんだかとてもやくざな怖い世界のようで、一歩を踏み出せなかった。しかし「もう寂しくひとりで死ぬだけだけだ」と思ったら、一度行ってみようと思い立った。

 SM雑誌でSMクラブを探していたら「クインビー(女王蜂)の館」という店に、載っている「初美女王様」の写真が目に留まった。くりっとした目には力があり、愛くるしい童女の様な顔に八重歯が少しのぞいていた。恐い顔で写っている女王様の中で、唯一笑顔で優しそうだった。深呼吸してからさっそく電話をかけたら、新宿3丁目の電話ボックスを指定して来た。そこからまた電話をくれとのことだ。用心深いやり方に秘密の臭いがして、緊張した。指定された場所から電話をかけると、近くのマンションの部屋を教えられた。
 「クインビーの館」という金色の小さな表札のあるマンションの部屋の前でインターホンを押すと、男の声で「はい」と返答があった。崇は「電話で予約した崇ですが」と言うと「どうぞ」とすぐドアが開いた。中にはすぐに事務机があり、部屋の隅にはテニス服、セーラー服やメイド服などの衣装が沢山掛けてあった。思ったほど、豪華そうなところではないのが,却って安心した。事務の男性はちょっとヤクザっぽい雰囲気だったが、言葉遣いはとても丁寧で、崇を応接セットに案内すると「お茶をどうぞ」と勧めた。「ちょっと初美女王様に連絡を取ってみます」と言って男は電話をすると「今日は5時出ですが、少し早めに来てくれるそうです。」と言った。

 崇は待っている間、気分がどんどん高揚して口が渇いていくのがわかった。待ちくたびれた頃、「お待たせしました」とクリアでちょっと低めの声がした。「初美です。よろしく」初美女王様は白い編み上げの厚底ブーツに、胸から形のいいおへそにかけて弓の様になった銀の鎖で何重にも結ばれている、真っ赤なエナメルのボンデージだった。その笑顔はとてもチャーミングで八重歯がとても可愛らしかった。
 プレイルームに案内されて、「ご希望のプレイはありますか?」と聞かれて、崇は「おおしっこを」と言うと、女王様は「初めてにしては大胆ね」と冷静な声で言って、「いいわよ」と笑顔になった。ムチ打ちのときには、ハタキの様になった黄色いバラムチでは何も感じなかったので,「もっと強くしてください」と言った。女王様は黒光りする長い一本ムチを取り出して「痛くて跡がつくけれどいいの?」と聞くと、崇は「平気です」と言った。女王様は、力一杯一本ムチを振り下ろすと、背中がしびれた。「気持ちいい」と崇が漏らすと女王様はさらに打って来た。15分くらいで終えたが、崇には風呂上がりの様な爽快感があった。さらに馬乗りや顔面騎乗があり、最後はシートを敷いて、ご聖水を頂いた。崇は深い満足感があった。「また来ますから、ぜひお相手をお願いします。」と満面の笑みで言うと、次の予約を入れてから、帰路についた。寝る前に家の風呂で背中を見ると、赤いミミズ腫れが幾スジも付いていた。今日のプレイをうっとりと思い出していた。
 こうして崇のクインビー通いは続いた。時々、予約は女王様の無断欠勤によってすっぽかされたが、「気まぐれはいい女の証拠」と、何とも思わずに次の予約を入れた。女王様は機嫌がいいときと悪いときが激しかった。悪いときには鞭打つ手にも憎しみがこもっている感じがした。しかし「それもありだろう」と崇は自然に受けとめた。
 常連になっていって、女王様と親しく話もできるようになった。女王様は機嫌がいいときには屈託なく何でもしゃべった。35歳と聞いたときにはびっくりした。10歳は若く見えた。機嫌が悪い時には怒鳴ったり、また突然泣き出したりすることもあった。そんなときにはプレイが中断されたので、崇はどうしようかと思ったが、黙って女王様の肩を抱いて、収まるのを待つしかなかった。
 プレイも崇がおろおろするくらい、積極的な攻めを連続してくりだしてくると、崇はうっとりした。女王様も恍惚の表情になってきて、その美しさに崇は魅了された。そんな女王様を崇はとても好きだった。崇の腕の中で泣いている姿も、娘のように可愛かった。家に帰った崇はまた会いたくて我慢できずに、何度も女王様の名を大声で叫びそうになった。1日中ひとときも、女王様のことが頭を離れなかった。女王様に面と向かって悪しざまに本音で言われた日には、帰ってから深く落ち込んだ。加齢臭のする崇は、まるで青年のように夢中だった。小娘にいいように身も心もてあそばれていた。女王様の本心は分からなかった。あるときには「痛くなかった?」とやさしく傷の介抱をしてくれたが、またあるときには「くそジジイ、うざいんだよ、帰れ!」と言われた。女王様はとても苦しんでいるようにも見えた。崇は自分の携帯を教えた。「24時間いつでもかけてきてほしい」と言った。
 ある時崇は以前から気になっていた女王様の手首の傷のことを聞いた。リストカットだと女王様は言った。リストカットというものをしている女性は初めてだった。「自分の血を見ると安心する」と女王様は言った。「すぐに傷つく自分の激しい性格に、多くの男性がついてこられなかった。」と言った。「自殺未遂で救急のお世話になったこともある」「精神科にかかったこともある」とも言った。

 夜中に携帯が鳴った。「死にたい」と言う。普段でも低い声なのだが、とても落ち込んでいる様子なのが分かった。教えられた女王様のマンションにあわてて駆けつけた。崇はぼつりぼつりと呟く初美の言うことを、ずっと黙って聞いていた。小さい頃から行動が激しかったそうで、家族も持て余し、早くに家を出たそうだ。言葉につまり初美は何度も「もう無理!死ぬ!」と叫んだ。やがて朝方になって「これで死ねる」と言って山ほどの精神科のクスリを目の前に出してきた。
 崇は「私も一緒に死のう!」とっさに言った。自分でもその言葉にびっくりしていた。初美は上目遣いに崇を見つめて「ありがとう」と言って崇を抱きしめた。崇ももう失うものはないと感じていた。「寿命までは生きるつもりだったけれど、今ここで死ぬのか」と深く自分の老後を諦めた。突然亡くなった妻の顔が浮かんだ。「おまえとの一生は幸せだったよ。今そっちに行くからね」とこころの中で呟いた。
 ベッドでお薬を半分ずつ初美と平らげて、キスをした。初美としっかり抱き合っていたが、時間が経つとふらふらしてきた。やがて抱いているのも億劫になってきて自然に意識を失っていった。

 吐き気と息苦しさの中で崇は気付いた。あれから何時間、何日間が経ったのかすら,見当も付かなかった。外は明るいようだった。倒れている初美を見た。猛烈な頭痛がして、もうろうとしていたが、とりあえず携帯で119番を押して、救急車を呼んだ。病院に運ばれたふたりはベッドに寝かされた。胃洗浄をしてやがて初美は意識を取り戻した。病室で初美は魂が抜けたようにぼーっとベッドに座っていた。後で「あの量を女性が一人で飲んでいたら、どうなっていたか分からない」と医者は言った。頭痛も薄らいできた崇は、自分からは動こうとしない初美の肩を抱いて、病院の支払いを済ませた。

 その後、初美は変わらずクインビーの館に勤めている。崇は会社の自主退職に応募して,今は家にいる。勤めを終わった初美が崇の家に帰ってくると、さっそく崇は夜食を作る。初美は何でも美味しそうに食べた。とても可愛い。性格もそのままで、セックス中もしょっちゅう爪を立てたり、噛んだり相変わらず激しく崇は生傷が絶えなかったが、「以前ほどの気分屋ではなくなったな?」と最近は思っている。

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