広範囲で永久的な記憶喪失と手順(の問題)に起因する認知障害の賠償につき、サウスカロライナ出身の女性が陪審評決および高額判決を勝ち取る電気ショック療法(ECTショック療法)の初のサバイバーとなった。

60歳のペギー・S・ソルターさんは、彼女に注意義務を負う3人の医者と同様にコロンビアのパルメット・バプテスト医療センターを訴えた。2000年、通院患者へのECTの集中的なコースの結果、彼女は、3人の子供たちの誕生、現在の死亡者、夫の全ての思い出を含む彼女の人生における過去30年間の全ての記憶を喪失した。

ソルターさんは、看護上の理学修士を取得し、精神医療の看護師として長いキャリアを持っていたが、看護技術の知識を失い、ECT後は職場復帰することができなかった。陪審員は、就労が不可能な彼女への賠償として、63万5177ドルを彼女に与えた。

医療過誤(不法行為)評決は、(パルメット・パブテスト医療センターに)紹介した医者Eric Lewkowiezに対して行われた。陪審員は無罪を固持した一拒否者票(拒否=他の2名の医師にも陪審員の殆どが有罪としたが、これに拒否した1票)のために、他の二人の医者に対する評決を下すことができなかった。パルメット・パブテスト医療センターは、裁判で明らかにされていない(賠償)額について、裁判の初期にその責任の決着をつけていた。

ECTが1938年に発明されて以来、以前の患者は永久的な記憶喪失と認知障害の荒廃を招くと報告したが、それは医師とともに治療への信頼を妨害することはなかった。

ECT記憶喪失の最初の訴訟(マリリン・ライス対ジョン・ナルデイーニ事件)は、ちょうど30年前に起こされ、その後多数の訴訟が提起され続け、50万ドルの1件含むいくつかの和解はあったものの、現在までそれ以前のどんな患者も、裁判での勝利を獲得しなかった。

ソルターさんの鑑定人としての役割を果たした精神科医ピーター・ブレッギンは、ライス対ナルディーニ事件の専門家でもあった。彼は過去30年間、原告が勝訴しない間にも何度も原告の弁護に出廷している。心理学者のメアリー・E・シーは、陪審員の納得がいくよう、ソルターさんに広範囲にわたる神経心理学的試験を行って、ECTによる脳損傷のために痴呆になったことを証明した。

被告側の専門家はニュージャージー(以前はサウスカロライナ医科大学)のチャールズ・ケルナーだった。彼は、「26日間の代わりに19日間で13回のショック療法をソルターさんに施行したことは、米国精神医学会のガイドラインに違反するものではない」と証言した。しかしながら、ソルターさんの激しい自殺傾向を争点として、その(自殺傾向への)治療を正当化した彼の主張は、カルテから実証することができなかった。

ニューヨークの82歳のマックスフィンク(ECT関連の多くの出版物や記事の著者と考えられ「ショックの祖父」として広く見なされていた)は、被告側にたって有利な証言をするはずであったが、むしろ被告側に有罪を立証する証言となるため、被告側弁護士が喚問しなかったのである。

過去30年間、被告側弁護団は次々と同じ戦略で同事例の勝訴判決を獲得してきたが、それは原告の精神科的病歴で陪審を脅かしてきた通念、つまり精神病者は真実を言うことができない、医者は嘘を言わないという通念を利用し、精神疾患は健忘や脳損傷の原因になるとさえ主張する戦略で勝ってきたのである。

ぺギー・ソルターさんの事案は、従来のECT患者の中で信頼された最初の事例である。彼女は、この勝利は全てのECTサバイバーのものであると述べている。

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