精神病棟

ACT 1

オサムは救急車の中で、まんじりともせず起きていた。首の右横が、ズキンとする。そこには、包帯が巻かれ、応急措置がされていた。彼は自分の家で、包丁で首を切ったのだ。妻に発見され、救急車で外科に運ばれ、さらに精神科へと回送されているのだ。ほどなくM精神科病院の前に着いた。オサムは精神科というので鬱蒼たる木立にかこまれた古びた洋館をばくぜんとイメージしていたのだが、あまりに普通の鉄筋の建物でなんだかホッとした。

当直のK医師が待っていた。オサムは、意識がはっきりしていたから、医師の質問にもかなりはっきりと答えた。 短い問診の後、注射されて入院患者の寝静まった廊下を通って、鉄の扉の部屋に入れられた。『保護室』と書いてあった。三畳くらいの部屋で、タタミとふとんがしいてあり、奥に便器といっても名ばかりで、穴があいただけのものがあった。ここで今夜は寝ないといけないようだ。 心なしか、ボーッとして来た。先ほどの注射のせいだろうか。すえた匂いの布団に横になっていると、窓には鉄格子が見えた。扉には二つの窓があり上にも鉄格子があった。下の窓は、こちらからは開かない構造になっていた。涙が出た。どうしてこんな事になったのだろう。

オサムは安売りショップのチェーン店の店長だった。と言っても最近店長になったばかりだった。オサムは、手を抜く事を知らないように、一生懸命働いた。特に結婚してからは、残業もいとわずこまめに働いていた。と、言うのも、家にいても面白くなかったからだ。妻は美人だが、一緒になってみると、オサムが望んだような家庭的な所がなく、金使いも荒く、見栄っ張りだった。それが、オサムは仕事にのめり込む原因になった。その仕事振りがチェーン店の上役の目に止まり、店長に抜擢された。
もともと責任感の強い方だったので、誰よりも早く出勤し、誰よりも遅くまで働いた。しかし、実は店長になる前から、朝がだるくて起きられず、ムリヤリ気合いを入れて起きていた。調子がすぐれないのは分かっていたが、一生懸命働いているうちに、体が動くようになるので、「年かなア。」などと思っていた。しかし、店長に指名されてからは、疲れている事は自覚していたが、頑張っていたが、疲れに押つぶされるような日もあり、自分はもしかしたら病気なのではなかろうか?、医者に行った方が良いのではないか?という気はしていた。

そんなある日、店の上役と一緒に酒を飲んだ時、「君の仕事ぶりは、重箱の隅をほじくるような、細かい事ばかり気にしている。もっとまんべんなく全体を見るようにしなくてはいかん。」と言われ、店長としての自信が崩れて行く気がした。 『自分は無能なのだ』と、真剣に悩み、妻にも話せず、ついに店を休んでしまった。

若い頃はこうではなかった。彼は小さい時の事を思いだしていた。彼はスポーツ万能で、女の子に良くもてた。毎日が楽しかった。何でこんな中年になってしまったのだろう。毎日が砂をかむような思いだ。上司は時々酒に誘ってくれた。上司は酒が強く一本以上空けてる間に、オサムは2〜3合だった。それに上司は迎え酒だと言って朝から飲んだりしていた。それに歯に衣着せずビシビシ言う性格を、彼は男らしいと思っていた。オサムは小さな事にこだわる性格だった。

店を休んで3日目、無力感の中で寝ていた時、妻から「家のローンもあるのに、早く店へ出て欲しい。」と言われ、「もうダメだ」と思い、妻の目を盗んで、台所で包丁を首にあてて切った。

つごう一週間、彼は保護室にいた。退屈だった。「新聞が読みたい」と言えば差し入れてくれたが、隅から隅まで一時間もあれば、読んでしまった。食事は下の窓から中に入れてくれ、下げる時には大声で呼べば、看護士が来てくれた。それとトイレは中からは流せなかったから、用をたした後は、ニオイがこもらない内に大声で看護士を呼んだ。日に一回外へ出れるのは、診察の時だけだった。初めの一回目だけは、事細かく長時間こちらの言い分を聞いてくれたが、二回目からは10分程の診察だった。薬は一日四回で朝昼晩8錠と寝る前に3錠が出た。オサムが診察の度に先生に言うのは、「いつ保護室から出してもらえるか」という事だったが、先生は「もう少しがまんして下さい」と言うばかりだった。

オサムがこの病院に入ってまず思ったのは、「自分はこんな所に居る人間ではない」という事だった。しかし先生は出してくれない。オサムは思った。診察の行き帰りに見る、突然大声を出す人。ブツブツとうつ向いたまま、グルグルと歩き回っている人。部屋の隅で背を丸めて、新聞をちぎっている人。「自分は断固としてこんな人達と同類ではない!」と。でも先生は淡々と聞いていて、「はい、終わりましょう。」と言うだけで、オサムはまた保護室に戻るのだった。オサムは惨めで泣きたくなった。最初は、保護室で店の心配ばかりしていた。が、数日たつと、妻の顔が浮かんで来た。妻が全然見舞いに来ない事に一抹の不安があったが、これは後に現実の事となった。一ヵ月ほどして、離婚届けを持って来たのだ。仕事は店長代行がやっているし家庭も、オサムは全てを失った。彼は黙ってハンコを押した。

ACT 2

一週間後、オサムは一般病棟に移された。部屋には8つベッドがあり、一つだけ空いていた。ベッドの上の棚に、少しばかりの生活用品を入れて落ち着いた。その後看護婦のオリエンテーションがあり、その後昼食の時間になった。食堂前に、数名がハシを持って並んでいた。以前、胃かいようで入院していた事があり、その時の食事のまずさに辟易していたので、ここの食事がまあまあうまいのは、救いだった。 食事が終わると薬を飲む。それが終わると、夕食までは何もする事がない。寝るのも起きるのも自由で、許された人達は、誘い会って外出していた。タバコはDルームという娯楽室で吸う事になっていた。テレビや雑誌やゲームが置いてあった。

病棟には男性が多く、女性は十数名しかいなかった。看護士に聞くと、「男は会社を辞めるとする事がないので、入院するしかないが、女は発病しても家事をしながら家にいる事が出来るから」という説明だった。

Dルームには、数名の男がタバコを吸っていたので、彼も座ってタバコを吸った。吸った後、消そうと灰皿に手をのばすと、横に座っていた男が「くれませんか?」と言って消そうと思っていたタバコを取っていった。 あっけにとられたが、肝炎やエイズは大丈夫だろうかという事が頭をよぎった。 雑誌をめくっていると、おなかのたっぷりと突き出た男が話しかけて来た。と言ってもここでは、ほとんどの人がおなかが突き出ている。食っちゃ寝るという生活だからだろう。

男はNと名のった。彼は「自分は分裂症だ。」と言い、「過去コンピューター関係の仕事をしていたが、25才の時発病して以来、入退院を繰り返している。」と言った。そして今、彼は病院の外の患者会に入っていて、市民運動をやっていると言った。

「だいたい厚生省は、おれたち病者の一人一人の事など、これっぽちも考えちゃいないのさ。それにもみ手をすってすり寄っているのが全精協と全家協なのさ。精神障害者の手帳を見せれば、電車や高速が割引になるらしいけど、要は病者に番号をふってお偉いさんが管理しやすくする為のものさ。ちょっと事件を起こしても、番号を調べれば過去どんな反社会的ふるまいをしたか一目瞭然さ。そんなものわざわざこちらから作って下さいと言ったのが、全精協と全家協さ。厚生省は全精協と全家協を利用しているけど、少しも病者本人の利益につながりゃしない。断固としてあんな奴らとは戦うべきさ。」と言った。彼の友人が全家協の大会に乱入して、警察に逮捕された、「その時友人を持ってかれないようにもみあった時のキズがこれだよ。」と言って腕をまくって見せた。「それにこの病院には電パチ(電気ショック)がある。あれは頭の中が真っ白になるからな。それも問題にしなくてはいけない。」と語っていた。彼は最後に「僕らの患者会に一度遊びにこないか?」と誘ったが、オサムがあまり関心を持っていない様なので、彼は廊下をトイレの方に向かって歩いて行った。

オサムは色々な生き方もあるものだと思うと同時に、理路整然と彼が意外にまともなのにも、びっくりした。

向こうから首と顔を左にまわしっぱなしの女の子が歩いて来た。Dルームにいる男性と会うと、顔を男性に向けるため、一回転して「こんにちは。」と言っていた。オサムは「やれやれ。」と思って、雑誌のページをめくった。いつの間にかウトウトして、フッと目を覚ますと、先ほどの首を回した女の子が目の前にいた。「今日は。新しい方ね。私はE子と言います。あなたカッコいいわね。お名前を聞かせて下さい。」と言うので、オサムが答えると、「これからもヨロシクね。」と言って顔を回したまま、ニコッと笑った。 夕食は5時前だが、もう皆ハシを持って並んでいる。夕食はヤキソバだった。早く食べてまだ残っていれば、おかわりが出来るので、おかわりをした。

ACT 3

オサムは鬱(うつ)病と先生から聞かされていた。昼間、彼はDルームの長椅子に長々と寝そべって、「しんどい、しんどい。」とうめいていた。次の動作に移れないので、何をする気も起こらない。ここ、2〜3日こうである。先生に聞くと、「うつが底を打っているようなので、もう少ししたら上がりますから。」との事だった。夕食の頃になると、少し楽になるのが救いだった。しかし、先生から「気分が上がって来る気配がないので、電気ショックをやってみましょう。」と言われた。文字どおりショックだった。怖いし不安だった。先生はそれを見透かすように、「大丈夫です。記憶がなくなったりしませんから、何も心配いりません。」と言った。

次の日、処置室に連れて行かれ、ベッドに寝かされた。「強心剤です」と言って注射され、電極を頭のあちこちに付けられた。「それではいきます。」と言ってコードの付いた丸いものを近づけたかと思うと、オサムは気を失っていた。気がついた時には、もう電極ははずされていた。ずいぶん長い間気絶したような気がしたが、時計を見ると30分ほどだった。

この電気ショックは3回受けたがオサムのうつの劇的な改善はなかったので、地道に良くなるのを待つ事になった。受けた後のあの気持ち悪さは、忘れられなかった。

しばらくして、F子と知り合いになった。彼女は、もうこの病院に十年近くいて、もう

ほとんど「住んでいる」という感覚である。障害年金をもらっていて、これを入院費に入れると、小遣いはわずかしか残らず、苦労しているようだった。「タバコを一本おくれ」と言うので、一本やったら話し始めた。 ここには午前中デイケアというものがあり、退院した患者さんが通って来て、卓球したり、だべったり、箱折作業したりして、暇つぶししている。と言うようなことをオサムの知らない患者名を交えて、ひとりで時々受けながら大きな声でしゃべるのだった。

これと似たような事を入院中の患者も、午前中にやることになっている。ソフト、卓球、生け花、など好きなグループに入っていいのだが、オサムはやはり好きなソフトボールに入っていた。人数の多い時には試合が出来るけれど、少ない時には、キャッチボールで終わってしまう。

この頃気付いた事がある。入院当初あれほど「ここの患者と自分は違う」と思っていた気持ちが全然無くなっていたのである。「同じ人間じゃないか。」何だか構えていた自分がこっけいだった。

Fさんと顔を左へ回したE子の話しになった。彼女によると、「E子はお父さんから、右手でお父さんの股間を、いじらされ続け、ついにこの不潔な右手を見たくなくなって、左側ばかり見るようになった。」との事だ。

それから、「J子という人妻は、誰とでも寝るよ。」と言ったので、オサムは冷や汗が出た。 J子からこの間話しかけられ、「ホテルに行かない。」と誘われて、「うん、外出が許可になったら行こう。」と約束していたのだ。オサムは痩せぎすだが、ちょっと色っぽいJ子に誘われてウキウキしたのだ。しかし、オサムだけを誘ったわけではなかったので、少しガッカリした。 しかし後日、外出許可がでた時、オサムはJ子とラブホテルへ行った。裸になった彼女は、小さなおっぱいに、細い太ももがセクシーだった。一緒におふろに入り、久しぶりに燃えたオサムだった。しかし、少ししか立たなかった。(これは後日、情報通のFさんに聞いた所、「薬のせいよ。」と言ってケラケラ笑ってた。)そこでオサムはひたすら口と手を使って、どうにか彼女を満足させる事が出来た。彼女は一週間ほどして、突然病院からいなくなった。Fさんによると、「噂が広がり、病院側も放っておけなくなり、強制退院になった」という事だった。

                ACT 4

オサムはもう知り合いもたくさん出来て、すっかり病院の水にも慣れていた。ここの人達は、皆どこかやさしくて、少なくとも生き馬の目を抜くような世間では、人を蹴落とす事など出来そうもない人達ばかりだった。 全てを失ったオサムもここの一人になっていた。ある日、病院側から患者全員に「森田療法をやっているから、Aには話しかけないように」と注意があった。Aとはオサムも話した事があったが、その日、Aはオサムにはいちべつもしないで、通り過ぎていった。 診察の時、森田療法について聞いてみた。

先生は「森田療法とは、君みたいなうつ病ではなく、神経症に使うものだ。」と言っていた。ついでに、サスペンスなどで聞く「精神分析」について聞いてみた。「精神分析が必要なのは、深窓の令嬢だけだろう。精神分析では、3才までの心の傷を問題にする。しかし3才までに人の一生が決まってしまうなんて考えられない。人生経験から学習する事が人生を決めるのじゃないかな。みんな友人との付き合いの中で、分析をして乗り越えるべき事は、ちゃんとやっているよ。」と先生は笑いながら言った。

ACT 5

真夜中に目が覚めてしまい、眠れない事がある。こんな時には、電気の消えたDルームに行ってタバコを吸う事にしている。Dルームにはたいてい先客が2〜3人いて、しばらくすると、去っていったりしてした。 いつものように、足を投げ出してタバコを吸っていると、突然バタバタと足音が近づいて来た。目をこらして見ると、両側から二人の看護士に抱えられた男が、「虫だ!虫がはっている!。」と暴れながら両腕をほどこうともがいている。明りの真下を通った時、オサムは顔を見てびっくりした。オサムの上司だった。                            

END

           

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