ボランティアは共依存

大学を卒業して初めての仕事をしている時、仕事以外の時間が空虚で毎晩のようにスナックへ飲みに行っていました。給与の6割は、スナックに払っていました。これは浪費癖だったとふりかえって思います。ひいきの女性がいたのですが、僕なんか好きになってくれるはずもないし、飲んで物まねなどして、騒いでいました。スナックでの知り合いは、友人にすらなってくれず、友達が欲しくて手話サークルに入りました。

初めて行った時に、暖かく仲間に向かえてくれて、とても嬉しかった事を覚えています。今から思えば、みんなボッちゃん嬢ちゃんだったんだな、と思うばかりですが、手話を一つ一つ小学生のように教えてくれるのが、何か嬉しかったです。空虚だった僕は、人から教わる楽しさを知りました。聾の人達とも知り合いになりましたが、みんな自立しているので、自立している者同士の関係は、僕自身自立していなかったので築けず、こんどは身体障害者の介護に入りました。はじめはオズオズと、やがてのめり込んでいきました。身体障害者の施設を訪れて、いろいろな障害者と話して、外出の約束を手帳につけ、外出に連れ出しました。介護はビアガーデンやスナック、競輪、ソープランド、彼女との旅行など多岐にわたりました。まさに水を得た魚のように介護しました。車椅子を押すことに自分の役割を与えられたような気がして、自己無価値感を忘れることができて幸せでした。

今考えると、これは共依存の関係でした。身体障害者は僕に依存していて、僕は必要とされる立場に依存していました。ボランティアなしには僕は生きていくことができませんでした。しかし、これは僕の過去の母子関係の再現でしかありませんでした。身体障害者が過去の僕で、ボランティアをやっている僕が過去の母でした。

神戸の震災の時にボランティアが大挙押し寄せて、マスコミが今の若者も捨てたもんじゃないと誉めまくりました。しかし「神戸が終わったら何をしたらいいかわからない」というボランティアの声を聞いて僕は「いや待て、それは共依存なのではないか、本当の関係なのか。」と疑ってしまいます。

僕はといえば、結婚してもまだまだ細々とボランティアは続けています。日本では共依存は美徳とされ、野口英世が老いた母をおぶる姿が日本の男性の理想とされています。しかし、僕には近親相姦ではないかと思えて、想像しただけで気持ち悪くなります。親の悪口を平気で言える僕の感覚がおかしいのでしょうか。
                                     


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