発病の経緯1

非定型精神病、と言うのが私の病名である。 この病気になった直接の原因は、ある宗教団体に関わった事にある。s教団の勧誘員に、十九の時誘われた。そこで強烈な洗脳を受けて、協会が教える理想世界と俗世界とに、心が分離してしまった。そこに、私が小さい時から信じていた神秘思想も加わってしまい、発病してしまったのだ。ここで、その詳しい状況を書いてみたいと思う。

僕は小さな頃から、神秘関係の本が大好きだった。と同時に、科学関係の本も宇宙関係のものを中心に良く借りたり、買ったりして読んでいた。SF物も好きであり、ジュニアシリーズの物を好んで読んでいた。オカルト関係の本も、平行して読んでいた。正当科学、SF、神秘思想、等がごった煮の状態であった。UFOも何度か見た事があり、不思議世界をその都度、感じさせられた。高校生の時、アニメのファンクラブに入り、それがきっかけで、美術の世界にも開眼させられた。姉は小さい頃から、マンガを描くのがうまくて、僕は嫉妬していた。だが、自分も描けるようになると、それが喜びに変わり、一緒の趣味ができた事で、姉との関係は非常に良くなった。アニメは今も好きで、特定の番組をまだ見ているが、思春期の頃は、手あたりしだい見ていた。特に好きだったのは、ギャグアニメの傑作の「トムとジェリー」であった。高校はM工に進学した。中学の時から、技術の時間が大好きで、技術高校に行きたいと考えていたからだ。M工は、その頃の高校にしては珍しく、図書館にマンガをけっこう置いていて、手塚治虫の初期の傑作の「メトロポリス」等があった。もちろん、技術高校だったので、電子、機械、等の本は数多くあり、片っ端から借りて読んでいた。その中には、神秘関係の本もけっこうあった。中でも面白かったのは大陸書房の本であり、「時のない地球」「未知なる惑星」などであった。大西洋に沈んだと言う、アトランティス関係の本も良く読んでいた。高校を卒業した私は、ある工場に就職した。その頃の私には、深刻な悩みがあった。それは、この厳しい世の中を生きるには、何か自分を精神的に支えてくれる、思想や宗教が必要なのでは?と言うものだった。そこで、色々な宗教のパンフレットを手に入れ、読んでみた。その中でA団体が、良いように思われた。そこに連絡しようか、と考えていた時、書店の前である教団の勧誘員に誘われ、近くにあったその宗教団体に行ってしまったのだ。それが、私の発病の原因になったB教団だった。そこは、表向きはキリスト教だった。一応、聖書を買うよう言われ、テキストとして使用した。中の人達は、穏和でさわやかな感じさえ、受けた。祭壇があり、そこにこの教団の創始者のBの写真が飾ってあった。この教団には、献身者と在家の信者がいるとの事だった。教義を見せてもらった私は、たちまちその虜になってしまい、そこに入信した。だが、それがこの病気になる直接の原因になろうとは、その時知るよしも無かった。一年間勤めた工場を辞めた私は、大阪の姉を頼り、ある百貨店のフルーツパーラーで働く事となった。その大阪においても、B教団との関係は、続いていた。困った事は、その当時私はある通信教育で絵の教育を受けていたのだが、教団の教えとそれがかみ合わない事だった。大阪の支部(これは絵の方)で、インストラクターの人に「君の成績はかなり良いから、デザイン事務所を紹介しよう」と言ってもらえたのに、「まだ未熟ですから卒業してから考えます」と言ってしまった事だ。あれは、人生最大の選択の誤りだったと思う。まだ二十にもなっておらず、多感で好奇心も多い自分だったから、そこに行っていれば良い経験が出来た事だろう。ずっと後になってこの松山でデザイナーの採用試験を受けた時、案の定年齢制限に引っかかり、採用されなかったのだから・・・・。このような世界に飛び込むのは、若いほどいいのだ。

さて、大阪時代の続き。教義を学んでいった私だったが、ある時彼等の指導員のKさんが、「羽籐さん、練成会に参加しませんか?」と誘って来た。聞くと、一週間の練成会との事。仕事はそんなに長く休めない、と言っても聞かないので、何とか店長を説得し、参加する事ができた。そこでは、強烈な学習が待っていた。朝起きてから、夜眠るまで、分単位の授業スケジュールが組まれていた。質問は、一切ダメ。指導員の講義を、ひたすらノートに記入するだけの毎日だった。食事は、最初は粗末なものだったが、だんだんまともなものを食えるようになった。一日だけだったが、レクリエーションの日が設けられていて、気分転換がその時だけは出来た。
        

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