発病の経緯3

さて、そういう訳で私は新聞社を辞めてしまった。その事を母に言うと、「どうしたって言うの?仕事を辞めて明日からどうするの?」と言った。私は「明日からは、ミシンのセールスマンをする」と平然と答えた。次の日、私はその店に行った。某有名メーカーのT社だった。最初にしたのは、営業の基本的な売り込み方法だった。社員を、顧客に見立てて、セールストークの練習をした。私はまだ初めてだったので、その様子をよく見て、覚えるようにと言われた。しかし、この職場もわずか三日で辞めてしまう事になる。二日目には、もう度胸を身に付けるための地回り、という訓練が待っていた。特定の区域を決めて、片っ端から各家々を訪問するものだった。待ち合わせの場所と時間を決めて、私はセールスを始めた。しかし、初心者の私には、売り込みなどはなかなか出来なかった。ともかく、ミシンのチラシを家庭の主婦に受け取ってもらえるだけであった。その中で一軒だけ、話しを聞いてもらう事ができた家があった。どんなきっかけで、話しをしたかはよく覚えていないが、庭木が見事だったので「この家の花や木はきれいですねエ」などと言ったと思う。初老の婦人は、「ありがとうございます」と言ってくれた。それで、色々と世間話しなどをその場でしていた。しばらくして、その婦人が「ここでは何ですから、中にお上がりになったら?」と言ってくれたので、私はその家に入った。家の中はけっこう広く、応接間に案内された。そこでは、本来ミシンの売り込みの話しをするべきだったろう。だが、こんな事になるとは夢にも思わなかったので、私はその婦人を相手に話しをただ一方的に聞くだけだった。どのくらいの時間、そうしていたか覚えてないが、かなりの間だったろう。集合の時間が迫ってきたので、名残惜しかったが、私はその家を後にした。初めてだったのに、こんなに話しを聞いてもらえたのは、自分にセールストークの才能があるのかな?と思った。そうして二日目は終わった。帰宅した私は父と銭湯に行った。行きながら話していたが、今の私の仕事について父は「おまえにセールスという仕事はできまいよ」と言った。私は「やってみなくちゃ分からないよ」と答えた。そして、発病のきっかけとなる三日めをむかえる事となった。その日もセールストークの練習と地回りの訓練をしたのだが、頭はもう半分空想の世界であった。ミシンのチラシをまともに配ったのは、最初のうちだけだった。集合場所の事も、頭にはなかった。どんどんと、指定区域をはなれて歩いていった。配布の対象にもならない、ガソリンスタンドにも行ったりした。空港通りにある車のディーラーにも行って、そこの店員に運転免許もないのに、「この車いいねえ、おいくら?」と言いながら、勝手に操作して迷惑をかけたりした。所かまわず歩いていったが、少しも疲れを感じなかった。空港通りを出た後、ある工務店のと思われる車が目についた。店員と思われる男の人に、私は面識もないのに、話しかけた。どう言ったかはよく覚えていないが、「僕は君を知っているよ、久しぶりだねえ」などと言ったと思う。そして、勝手にその車の中に乗り込んだ。彼は私を喫茶店に連れて行ってくれた。そして、紅茶やサンドイッチをおごってくれた。今思い返すと、一体どうやったら、初対面の相手にそんな事ができるのか、不思議でならない。彼は私の事を、さぞや不気味がったと思う。店の支払いをすると、彼はそそくさと出て行った。私は紅茶を飲みながら、悠然とそこでマンガを読んでいた。店を出た後も、私は相変わらず空想の世界であった。と、タクシーがこっちに来るのを見た。私は金もないのに、その車を呼び止めた。「どこまで?」と運転手が聞いたので、以前行ったことのある五明牧場へ向かってもらった。その頃タバコは吸っていないにもかかわらず、ライターだけは持っていた。仕事の同僚が求めて来たら便利だろう、と思ったからだ。カチッカチッと音をならしながら、運転手に何かわけの分からない事を言いながら、五明へと向かった。そこへ着くや、今度は「千舟町に戻って下さい」と言った。私が店に戻った時には、もうすでに暗くなっていた。店では、私が指定の時間に戻らなかったので、皆大騒ぎしていた。後はもうメチャクチャだった。店の者にタクシーの代金を肩代りしてもらった私は、次長に言われた。「君はこの仕事に向いてないんじゃないの?」と。私が「そうかもしれません」と言うと、突然「じゃ、もう帰って下さい」と言われた。少し生き消沈した気持ちで、私は店を後にした。こうして、松山に帰ってきた私の仕事は終わった。

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